シンガポールの外国人労働者の感染拡大から、シンガポールにいた妻のことも書いてみる。

シンガポールの外国人労働者の寮でコロナの感染が広がりました。

相当なタコ部屋に折り重なるように暮らしていたのかと思いきや、普通に技能実習生の入国前講習の寮と同じような感じでそんなにひどい環境ではなかった。

私の妻も昔はシンガポールで働いていたので、こんな寮に住んでいたのかと聞いたところ、3ベッドルームのアパートに6人で住んでいたが、リーマンショックで5人がクビになり、しばらく3ベッドルームのアパートに1人で住んでいたとのことでした。

妻は若かりし頃、家族の仕事の関係でホーチミンで暮らしていて、インド料理の店で働いていました。

そのレストランにはバーがあり、レストランの仕事の合間にビールの栓を抜いて客に提供する仕事もやっていました。その時に扱っていたのがタイガービールで、プルタブを集めて懸賞に応募すると賞金が当たるキャンペーンをやっていて、それが見事に当たったそうです。

その懸賞金を使って英語の学校に入って英語を勉強し、シンガポール行きの試験を受けたところ合格したそうです。出国費用は1000ドルのみで、技能実習生に比べたらだいぶ安い。

給料はいくらだったか詳しくは聞いていませんが、働いたお金で妹の技能実習生の出国費用200万円をねん出し、父親の仕事の船を買った上貯金までしていたことから、安くはなかったようです。

妹の技能実習生の出国費用200万というのはどうしても許せない。妻が汗水たらして異国で働いた金がどのヒヒ親父の酒やカラオケの女性やタンス預金へ消えたのかと考えると腹がたつ。妻のものはオレのもの。オレの200万円を返せ~!とヒヒ親父への怒りは収まりません。

まあ、今では妹は日本語を習得して月1200ドルくらいの仕事をしているので、日本では残業代くらいしか貯金できなかったが、日本語を身に着けたおかげで安定した仕事ができているので200万円の価値はあった。と納得しようとしてもなっとくできん。許せないヒヒ親父め。

シンガポール入国後すぐに、同僚が次々とひとりずつ社長に呼ばれ、クビになって去っていったので次はいつ自分の番かとビクビクして覚悟していたところ、自分だけ5年も残ることになってしまったとのことです。

その間に中国語も身につけて、帰国後にデザイン学校に通って自営業を始め、私と出会って日本語学校に通い、毎晩遅くまで音読や勉強してメチャクチャな上達ぶりを見せて、学ぶスピードの勢いの恐ろしさを感じましたが、N3直前に妊娠して日本語への興味も情熱も失い、日本語はほぼ挫折中です。

タイガービールのおかげで妻が英語を習得して、私たちが出合って話すきっかけになったので、タイガービールにはとても感謝しておりビールはいつもタイガーです。